一駐在員の見た現代中国

中国の「今」について、書き連ねます。

コロナ禍に個人はどのように向き合えばよいのか

中国に渡航して4か月以上が過ぎた。

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2020年は、全世界のあらゆる人々にとって、大激動の1年であったかと思う。
世界史に残ることになるだろう。
日本も状況は深刻だ。回復への道筋を未だ見い出せていないように思う。

 

このような社会の状況に対して、個人はどのように向き合えばよいのだろうか。

 

社会の変化は、社会構造そのものがもたらすという見方は昔からあって、主な経済思想も、マルクス主義もその前提に立っているように思う。
個人一人ひとりの動きや考えは、そんなに重要ではない。
この見方は正しいのかもしれないと思っている。

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しかし、では社会の大きな流れに、個人は、ただただ身を任せていればよいかというと、そうは思わない。

1つには、大きな流れの中で、重要な役割を担う可能性もあること。
チンギス・ハンやオバマ米大統領だって、大きな世界的な社会の変化が背景にある中で、歴史的に脚光を浴びているだけに過ぎないといえばそうなのかもしれないが、しかし、それぞれ、個人としての振る舞いが歴史的にも存在感を放っているように思われる。
(自分がそのような歴史的な存在になるとはもちろん思っていないけれども)

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2つめとして、個人個人の行動、姿勢やスタイルそのものが、未来や次世代に引き継がれることで、社会構造の基底に影響を与える可能性はあるだろうと思うからだ。
明治のキリスト者内村鑑三が「後世への最大遺物」で述べたとおり、個人として後世に残せるもので重要なものは、その人の振る舞いそのものなのではないかと思う。

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とはいえ、上海の活気ある雰囲気に影響され、このように日本を取り巻く状況としては厳しいものの、今の心境としては非常に楽観的である。

 

コロナ禍からの社会経済の混乱は続き、またパックス・アメリカーナの終焉が見え始めた中、世界的にも日本としても、大変動の時代は、当分の間、続くものと見るべきである。
そのため、個人としても、変化の大きい社会を前提としてどのよう振舞っていくかということになる。

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逆説的だが、「変化が激しいため、先の見通しが立てられない」という”見通し”が明らかであるため、考える時間は増加しているが、心は穏やかである。

 

今の気持ちとしては、
①過度に楽観的にも悲観的にもならず、決め打ちはしない。
②常に柔軟に動くことができるようにしておく。
③これまでのやり方にこだわらず、新しい型やスタイルを生み出していく。
ということを意識していきたいと思う。